タイトルについて
「It's fine today!」はマイクテストに使われる決まり文句。
日本語では「本日は晴天なり」です。
詳しくは↓のサイトなどを。
http://www3.kcn.ne.jp/~jarry/jkou/ii099.html
http://skmwin.net/archives/000067.html
「It's fine today!」はマイクテストに使われる決まり文句。
日本語では「本日は晴天なり」です。
詳しくは↓のサイトなどを。
http://www3.kcn.ne.jp/~jarry/jkou/ii099.html
http://skmwin.net/archives/000067.html
刑事コロンボなどでお馴染みの、俳優ピーター・フォークさん。
あるインタビューで、「本当の男らしさとは」という質問に、こう答えたそうです。
「十代の少女の心、少年の目、スポーツマンの脚、そして大人の精神だ。」
思い返して今の自分。どれも欠けている気がします。
とりあえず、スポーツマンの脚あたりから頑張ってみるかな。
ジャン・ジャック・ルソーの言葉
「所有している金は自由への手段となるが、
追い求める金は隷属への手段としかならない。」
ルソーの言葉と若干趣旨は違うけれど、
大学時代のバイト先で、社長が言っていた言葉を思い出しました。
「金儲けのことばかり考えていると、結局金に振り回されて時間を無駄にする。
きちんとした仕事をしていれば、金ってのは後から着いてくるもんなんだよ。」
「これを知る者は、これを好む者に如かず。
これを好む者は、これを楽しむ者に如かず」(孔子)
趣味も、仕事も、勉強も、なんでもかんでもすべて。
大学院に入学して1年半。
3年間のコースなので、いよいよ後半戦です。
周りを見回してみると、やっぱりいるんだなぁ。楽しそうに勉強している人が。
自分もそうありたいんだけど、でも、朝起きると頭痛が、腹痛が…。
※如(し)かず=及ばない
西千葉から千葉シティバスに乗る。
このバスは首都圏では珍しく後乗り。
お金を払って前から降りるスタイル。
降りるときに運転手さんに挨拶できるのが嬉しい。
運転手さんは利用してくれてありがとう。
こちらは安全に運んでくれてありがとう。
二人で同時にありがとうございました,という。
いい気持ち。
子供のころから,ちゃりんとお金を入れながら,
「ありがとうございました」と言ってバスを降りるのが習慣になっていて,
大学生になって,初めて東京のバスに乗ったときに,
なんかとても寂しく感じた,20年前のことを思い出しました。
みんな黙ってバスに乗り,黙って降りる。
今,それに慣れてしまっている自分が悲しくもあります。
カセットコンロの使用済み缶を捨てようと穴をあけていたら、ぷーんとガスのにおい。
なんだ、まだ残っているじゃないか、と思った瞬間、
荘子の言葉が頭に浮かびました。
「無用の用」
カセットコンロやスプレーの缶からガスが出るのは、
缶の中の気圧が外の気圧よりも高いから。
私たちのいる地上の気圧は1気圧。
だから、缶の中の気圧が外と同じ1気圧になったら、
平衡が保たれ、中の気体は外へ出なくなる。
つまり、最後の1気圧分のガスは、缶を宇宙空間(真空)にでも持って行かない限り中に残ったままなのです。
でも、永久に使われることのないこの1気圧分のガスのおかげで、
私たちはカセットコンロやスプレー缶を使うことができるのです。
注意:ガス抜きの際に湯沸かし器や風呂釜の火が引火してケガをする事故が多いそうです。お互い気をつけましょう。自治体によっては穴をあけずにそのまま捨てるよう定めているところもあるようです。
天気が良いのでカーテンを全開にしてみました(寒いので窓は閉めたまま)。
外は快晴、いい天気。向かいの家の庭木が、いい感じに赤く色づいています。
今日みたいな良い天気の日。中野に住んでいた頃は、
「こんなに天気がいいのに、部屋に閉じ籠もって仕事しなけりゃならないなんて…」
と悲しく憂鬱な気持ちになっていたのだけれど、
今の部屋は開放感があって、
また、北側の柔らかい光が優しく部屋を包んでくれているせいか、
天気がいいと、机について本を読んでいても、とても気持ちが良いのです。
この家に引っ越してくる際、大きな窓が勉強の邪魔になるかもしれない、
なんて思っていたけれど、そんな心配は無用でした。
私が学生だった20年ほど前のこと。
北九州市内にこんな献血ルームがありました。
入口のボードには、
「献血する人もしない人も、学校の帰りに遊びに来てね。」
待合室には高校生がいろいろなことを書き込むノートが、
大きなテレビの隣には、話題になった映画のビデオや雑誌などが置いてありました。
夕方は高校生でいっぱい。
映画を見る子、雑誌を読む子、
部活帰りにジュースを飲みに寄る子や、
違う高校に行った友達との待ち合わせに使っている子もいます。
献血もこの時間帯は順番待ち。看護師さんたち大忙し。
あなたは○日に献血したばかりだから、次は○日以降にね、
なんて説明を受けている子もいます。
元気と血液の有り余っている高校生たちが、ワイワイ集まっているところ。
そんな場所でした。
このルームが特殊だったのかもしれませんが、
東京の献血ルームに私は未だに馴染めません。
なんか暗いのです。
空気が重いのです。
たかだか数百ミリリットルの血液を抜くだけなのに、
物凄く特別のことのように感じるのです。
自分の命を懸ける覚悟で人助けに挑むというか、
そこを通る度に勇気や人間性が試されているというか、
要するに敷居が高いのです。
駅前の献血ルーム。
今日も、いつものおじさんが大きな看板を持って、悲痛な声で叫んでいます。
「A型、AB型が不足しています。
御協力お願いします。ぜひ、ぜひ~」
歩いている人はみな、おじさんと目が合わないように、
忙しいフリをして通り過ぎます。
あなたがそこに立っているから、若い人が入りづらくなるんだよ。
って教えてあげたくなるのです。
文学部に所属していた学部生の頃、
演習というクラスで、毎回教授が文学作品を一つ指定し、その作品について、
その回を担当する学生が発表するという授業が行われていました。
私の担当回に課題となっていたのは、ジェイムズ・ジョイスの「死者たち」。
あらかじめ担当作品は決められており、しかも短編だったので、
何度も何度も繰り返して読みました。
でも、何度読んでもこの作品のどこが良いのかわかりません。
もちろん、なんとなく「良さ」はわかる気はするのだけれど、
それを言葉にしようとすると、すべて嘘っぽくなってしまうのです。
図書館に行って、ジョイスやこの作品について書かれた批評を何冊も読んでみるのだけれど、どうしても違和感を感じてしまいます。
文献の重要そうな箇所をノートに書き出してみても、徒労感が残るばかり。
発表の当日、叱られることを覚悟でO教授の研究室へ行きました。
作品を何度も読んだこと、作家や作品についての批評も調べたこと。
でも、どうしても自分にはこの作品の良さがわからない、
なぜに高く評価されているのか理解できないということを素直に伝えました。
教授は、作品の内容や、主要な文献について、私にいくつか質問をしました。
そして、こうおっしゃいました。
君がこの作品をしっかりと読んでいること、
文献をいろいろと調べてくれたことはわかりました。
学生たちの多くは、作品を読んで、そして、それについて書かれた批評を読み、
わかった気になって、いろいろとものを言ったりする。
それは他人の感覚であり思想であるのに、
あたかも自分のものであるかのように勘違いしてね。
もちろん、そうやって背伸びをしていくのも大事なこと。
でも、君のように、いまの自分にはこの作品はわからない。
批評を読んでもしっくりこない、という感覚を持ち、
その感覚と向き合うことも大切。
それもまた文学を学ぶということです。
君は、その「わからない」という感覚を大事にしてください。
今日は私が講義をしましょう。
その日の授業では、O教授がジョイスとこの作品について講義をされました。
一言も聞き漏らさないぞ、と思って聞いたのだけれど、
やっぱり私にはわかりませんでした。
でも、この日、最も大切なことを先生に教えていただいた気がしました。
なぜか東京駅で「東京土産」として売られている「名菓ひよ子」。
そして、それを当たり前のように買っていく人たちがいる。
ちょっと待って!
ひよ子は「福岡」のお菓子です。
「名菓ひよ子」が生まれたのは大正元年。
福岡県飯塚市のお菓子メーカー「吉野堂」で販売が開始されました。
そして、発祥の地である飯塚駅を始め、博多駅、小倉駅など、福岡県内各駅で
長い間、お土産品として親しまれてきました。
東京駅での販売が開始されたのは、東京オリンピックが開催された昭和39年。
これも「ひよ子=東京」という誤解の元となったようです。
(しかも東京での製造・販売会社が「株式会社東京ひよ子」)
その後、東北新幹線の開通により、
東北地方の人が東京土産と勘違いして地元に持ち帰るようになり、
「ひよ子=東京土産」という誤解が東日本の人々の間に広まってしまいました。
東京から福岡へ出張等で行かれる方へ。
間違っても、「ひよ子」を「東京土産」として持参することなどなきよう、
お気を付け下さい。
まとまる商談もまとまらなくなりますよ。
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て
妻としたしむ
石川啄木の歌です。
高校生の頃からこの歌が好きでした。
大人になって、いろんな経験をして、
この歌の本当の良さが、だんだんとわかってきました。
もちろん、啄木が意図したものとの違いはあると思います。
私なりの解釈です。
まだ20代の頃、中学受験の塾の講師をしていたことがあります。
そこで、子どもたちのお母さんやお父さんと、
面談と称して、お話をする機会がしばしばありました。
わざわざ受験をしてまで私立の中学校に子どもを通わせるなんてことは、
地方出身の私には、いまひとつ理解できないことでもあったのですが、
そのようなことを考えるお母さんには、やはり教育熱心な方が多く、
子どもの「学習管理」や「成績管理」を厳しくこなしていらっしゃいました。
そんなお母さん方を見ている内に、だんだん私自身が辛くなってきました。
冒頭の歌を、ひっくり返すと、こんな感じになりましょうか。
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
家に帰ると
妻からもダメ出し
こんな「妻」(家族)とは生活したくありません。
たとえば、テストで悪い点を取った子どもがしょぼくれて帰ってくる。
ここで、「次はもっと頑張ろう」なんていって励ましたら、
今、その時点でのその子の存在を否定することになってしまいます。
「家族」は子どもにとって、とても大事な「帰る場所」なのです。
自分の存在を無条件に認めてもらえる、唯一の場所。
それを失ってしまった子どもたちは、「帰る場所」を探し求めて放浪することになる。
いいよいいよ。勉強なんかできなくても。
ダイジョウブダイジョウブ。元気でいるのが一番さ。
大人もしかり。
いいんだよ。そのままで、いいんだよ。
あなたは、そのままのあなたで、
ここに居ていいんだよ。
そんな場所、帰る場所があることが最高の幸せなんだと思います。