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2009年06月 アーカイブ

2009年06月12日

北風と太陽

私が学生だった20年ほど前のこと。
北九州市内にこんな献血ルームがありました。

入口のボードには、
「献血する人もしない人も、学校の帰りに遊びに来てね。」

待合室には高校生がいろいろなことを書き込むノートが、
大きなテレビの隣には、話題になった映画のビデオや雑誌などが置いてありました。

夕方は高校生でいっぱい。
映画を見る子、雑誌を読む子、
部活帰りにジュースを飲みに寄る子や、
違う高校に行った友達との待ち合わせに使っている子もいます。

献血もこの時間帯は順番待ち。看護師さんたち大忙し。
あなたは〇日に献血したばかりだから、次は〇日以降にね、
なんて説明を受けている子もいます。

元気と血液の有り余っている高校生たちが、ワイワイ集まっているところ。
そんな場所でした。

このルームが特殊だったのかもしれませんが、
東京の献血ルームに私は未だに馴染めません。

なんか暗いのです。
空気が重いのです。

たかだか数百ミリリットルの血液を抜くだけなのに、
物凄く特別のことのように感じるのです。

自分の命を懸ける覚悟で人助けに挑むというか、
そこを通る度に勇気や人間性が試されているというか、

要するに敷居が高いのです。

駅前の献血ルーム。
今日も、いつものおじさんが大きな看板を持って、悲痛な声で叫んでいます。

「A型、AB型が不足しています。
御協力お願いします。ぜひ、ぜひ~」

歩いている人はみな、おじさんと目が合わないように、
忙しいフリをして通り過ぎます。

あなたがそこに立っているから、若い人が入りづらくなるんだよ。
って教えてあげたくなるのです。

2009年06月26日

わからないということ

文学部に所属していた学部生の頃、
演習というクラスで、毎回教授が文学作品を一つ指定し、その作品について、
その回を担当する学生が発表するという授業が行われていました。

私の担当回に課題となっていたのは、ジェイムズ・ジョイスの「死者たち」。

あらかじめ担当作品は決められており、しかも短編だったので、
何度も何度も繰り返して読みました。
でも、何度読んでもこの作品のどこが良いのかわかりません。
もちろん、なんとなく「良さ」はわかる気はするのだけれど、
それを言葉にしようとすると、すべて嘘っぽくなってしまうのです。

図書館に行って、ジョイスやこの作品について書かれた批評を何冊も読んでみるのだけれど、どうしても違和感を感じてしまいます。
文献の重要そうな箇所をノートに書き出してみても、徒労感が残るばかり。

発表の当日、叱られることを覚悟でO教授の研究室へ行きました。
作品を何度も読んだこと、作家や作品についての批評も調べたこと。
でも、どうしても自分にはこの作品の良さがわからない、
なぜに高く評価されているのか理解できないということを素直に伝えました。

教授は、作品の内容や、主要な文献について、私にいくつか質問をしました。
そして、こうおっしゃいました。

君がこの作品をしっかりと読んでいること、
文献をいろいろと調べてくれたことはわかりました。

学生たちの多くは、作品を読んで、そして、それについて書かれた批評を読み、
わかった気になって、いろいろとものを言ったりする。
それは他人の感覚であり思想であるのに、
あたかも自分のものであるかのように勘違いしてね。

もちろん、そうやって背伸びをしていくのも大事なこと。
でも、君のように、いまの自分にはこの作品はわからない。
批評を読んでもしっくりこない、という感覚を持ち、
その感覚と向き合うことも大切。
それもまた文学を学ぶということです。

君は、その「わからない」という感覚を大事にしてください。
今日は私が講義をしましょう。

その日の授業では、O教授がジョイスとこの作品について講義をされました。
一言も聞き漏らさないぞ、と思って聞いたのだけれど、
やっぱり私にはわかりませんでした。

でも、この日、最も大切なことを先生に教えていただいた気がしました。

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